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東京地方裁判所 昭和31年(ワ)686号 判決

原告 五十嵐松江 外一四名

被告 協和醗酵工業株式会社

主文

原告らの請求はいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

原告らは

第一次請求として、

「(一)被告は原告らが昭和二五年四月二六日被告に対してした再雇用の申込を承諾すること。(二)被告は原告らに対し昭和三〇年一月一日以降右承諾をするに至るまで毎月別表第二「一月の月収差」欄記載の金員を支払うこと。」

との判決を、

予備的請求として

「(一)被告は原告らが昭和三〇年一二月二四日被告に対してした再雇用の申込を承諾すること。(二)被告は原告らに対し同日以降右承諾をするに至るまで毎月別表第二「一月の月収差」欄記載の金員を支払うこと。」

との判決と右各金員支払部分について仮執行の宣言を求め、

被告は

「主文同旨」

の判決を求めた。

第二、原告らの請求原因

一  当事者

山陽化学工業株式会社(以下、山陽化学という。)は昭和二一年四月硫安等の製造、販売を主たる営業目的として設立され、戦時中人造石油の生産を目的とした帝国燃料興業株式会社(以下、帝燃という。)宇部工場の一部残存設備を賃借して発足したものであるが、占領軍の意向により硫安製造は中止し、昭和二二年四月以降は専ら宇部興産株式会社に対する硫安原料用ガスの供給を行つて来たが、昭和二四年一二月二〇日その操業を中止した会社である。

原告らはもと山陽化学に雇用されていたものであるが、山陽化学から原告片岡正三、同篠原とり、同山中一良は昭和二五年四月二九日、その余の原告らは同年三月三一日に解雇されたものである。

なお、原告内田、同森岡、同堀口、同片岡を除くその余の原告らは山陽化学の本社(東京都所在)従業員の一部で結成された山陽化学本社従業員組合(以下、本社組合という。なお、山陽化学宇部工場の従業員の一部で結成されていた山陽化学労働組合も存在した。以下、右組合を工場組合という。)の組合員である。

二  再雇用の義務

(一)  本社組合は、昭和二五年四月二六日山陽化学と同年三月以降行われた組合員である原告らを含む本社従業員の解雇に関して別紙のAとおりの協定を締結した。

当時山陽化学は経営困難のため原告らを解雇せざるを得ない状態におちいつていたので、原告らは山陽化学の当時の状況にかんがみ解雇は承認するが、山陽化学の将来は比較的明るく企業系列の再編成、企業経営の整備、経営計画の創案等を図れば必ず近い将来に資本を得て再度操業を開始するか、或いは他企業との合併ないし新会社としての発足にせよ、何らかの形で再出発するであろうことが十分に予想され、当時の山陽化学の経営者もこれを高言していたところから、原告らは自己の将来を考え比較的多年にわたつて勤務した山陽化学への愛着と就職難の社会にあつての生活の手段を確保する意味から、山陽化学再発足の際の原告らの再雇用を山陽化学に義務づけ、しかもその再雇用を可及的速やかに実現するため山陽化学再建の際は他の一般の人より最優先して雇い入れられることを必要とする旨本社組合と山陽化学へ申し入れ、両者もこれを認めたのである。

山陽化学の当時の経営者は会社の再建のためにあらゆる努力を払い、近日中に何らかの形で再発足させるが、中でも当時A協定第五項にいう塩安製造事業については相当の見透しがついているから、これが設立を見れば、原告らは必ずこれに雇用される。ただ山陽化学としては、その間の給料支払の財源がないから、原告らを解雇せざるを得ないが、近い将来必ず再雇用されるのであるから、今回の解雇は実質的には休職と同一であるという発言をしていたので、本社組合も解雇を承認し、その結果A協定が締結されたのであつて、その第一項に「会社は山陽化学再建のため」とあることから見て、山陽化学がいかなる形において再建される場合においても、A協定第四項のとおり組合員である原告らを全員優先採用することを約したものであることは明白であり、まして山陽化学自身が現会社のまま経営方針を立て直し操業を再開するときは当然原告らを再雇用することをも約したものというべきであつて、このことは昭和二五年一月二五日原告らより先に解雇された山陽化学の従業員に関し本社組合と山陽化学との間に締結された協定(別紙B)中の解雇者の再雇用に関する文言とA協定のそれとを対比して見ても明白である。

(二)  右原告らの再雇用に関する協定は、本社組合が組合員である原告らの利益のために締結したものであり、同原告らの個人的利益に直接関係する義務として締結されたものであるから、右協約により組合員である原告ら自身も山陽化学に対し協約上の権利として再雇用に関する権利を取得したものといわなければならない。

(三)  仮に組合員である原告らがA協定によつて再雇用に関する協約上の権利を直接に取得したものでないとしても、前記協約締結の経緯から見て明白なように、本社組合が組合員である原告らの利益のためにかかる協定を締結したものであるから、協約締結と同時に同原告らを受益の第三者とする協約内容どおりの契約が第三者のためにする契約として協約と併立して締結されたものといわなければならない。

非組合員である原告らも前記のように本社組合と山陽化学に再雇用に関する申入をし、両者間に前記A協定が締結されたのであるから、右協定は同原告らのため再雇用の権利を取得させるために締結されたものであつて、非組合員である原告らをも受益の第三者とする協約内容どおりの契約が第三者のためにする契約として協約と併立して締結されたものである。

(四)  山陽化学は原告らを解雇したのち企業の再建を図つた結果昭和二九年末翌三〇年一月一日を期して尿素肥料の生産販売を主たる業務内容として大々的に再開することとなり、原告らを採用する能力をも十分備えたので再開に当り、従業員を採用するには、当然原告らを優先採用すべき義務があるのにかかわらず、山陽化学は右義務に違反し、昭和三〇年一月一日をもつて原告らと同時に解雇された者以外の者である小滝外一三名を雇用した。

(五)  原告らはすべて前記協定成立時に山陽化学に対し同社が業務を再開することを効力発生の条件として再雇用の申込の意思表示をしたものであるから、山陽化学は前記の業務再開に際し、組合員である原告らに対し協約上の義務の履行として又は原告らが受益の意思表示をした第三者のためにする契約上の義務の履行として原告らの再雇用申込に対し承諾すべきものである。

(六)  なお、原告らは昭和三〇年一二月一四日附その頃到達の内容証明郵便で山陽化学に対し再雇用の申込をしたから、山陽化学は遅くともその頃前同様の各義務の履行として原告らの再雇用申込を承諾する義務があるものである。

三  損害の賠償

山陽化学は原告らの前記雇用申込に対し承諾する義務があるのにかかわらず、これを履行しないので、原告らが右不履行により受けた損害を賠償すべきものである。

新発足後の山陽化学の給与規定によれば、従業員の給与は本人の経歴、職務、勤務能率などを考慮して決定される基本給および基本給を基礎としてこれに特定の倍率を乗ずることにより決定される臨時手当その他の諸手当等を合算したものであるが、昭和三一年一月一日附で採用された小滝外一三名は山陽化学と同系の帝燃の社員であつて、原告らもA協定第四項に明記されているように山陽化学に再雇用されるについては原告らの山陽化学における勤続年数は再雇用後も通算されるべきものであるから、右訴外人らの現在の勤務条件と原告らの年令、山陽化学における勤続年数、経歴、役柄(その詳細は、別表第一のとおり)などに相似のものと比較衡量して原告らの山陽化学に再雇用されて勤務すべき条件を定めれば、その月収は別表第二中「再採用された場合の月収」欄記載のとおりとなる。

しかるに山陽化学は原告らの前記再雇用申込を承諾すべき義務があるのにかかわらず、その履行を怠つているため、原告らは右記載の月収を得ることができず、現在失業中であるか又はやむなく他社に勤めていて別表第二中「現在勤務先の月収」欄記載の月収を得ているにすぎないのであるから、その差額に当る別表第二中「一ケ月の月収差」欄記載の金額は山陽化学の前記義務不履行により原告らが毎月受けている損害である。

従つて山陽化学は原告らに対し原告の最初の再雇用の申込が効力を発生した昭和三〇年一月一日以降、仮に右申込が認められないとしても、前記内容証明郵便による申込の日である同年一二月一四日以降右承諾をするに至るまで毎月別表第二中「一月の月収差」欄記載の金額に相当する損害の賠償をすべきものである。

四  被告会社の義務の承継

被告は昭和三三年四月三〇日山陽化学を吸収合併し、山陽化学の原告らに対する前記各義務を承継した。

五  よつて原告らは被告に対し第一次請求として原告らが昭和二五年四月二六日した再雇用申込に対する承諾の意思表示の給付と右意思表示が効力を生じた昭和三〇年一月一日以降右承諾に至るまで毎月別表第二中「一月の月収差」欄の金員の支払を求め、仮に右再雇用の申込の事実が認められないときは予備的に原告らが昭和三〇年一二月一四日した再雇用申込に対する承諾の意思表示の給付と同日以降右承諾がなされるまで前同様の金員の支払を求める。

第三、被告の答弁と抗弁

一  原告らの請求原因第一項の事実は認める。

二  同第二項の事実のうち

(一)  本社組合と山陽化学との間に昭和二五年一月二五日別紙Bの、同年四月二六日別紙Aの各協定が右各日時山陽化学の行つた従業員の解雇(A協定については、組合員である原告らの解雇を含む。)に関して締結されたこと

(二)  山陽化学が昭和二九年末尿素肥料の生産販売を主たる業務内容として(この営業目的は昭和二九年一一月定款変更により新たに附加されたものである。)操業を再開し、昭和三〇年一月一日附で小滝外一三名を雇用したこと

(三)  原告らよりその主張内容証明郵便がその主張の頃山陽化学に送達されたこと

は何れも認めるが、別紙A協定なかんずく第四項の趣旨が原告らの如きもので原告らがその主張の如き協約上の権利を取得したこと、また右協定と同時に原告らのためにその主張の如き契約が締結されたことは否認する。

三  同第三項の事実のうち

(一)  山陽化学に原告ら主張のような内容を骨子とする社員給与規程が存すること

(二)  小滝外一三名が山陽化学と同系の帝燃の社員であつたこと

(三)  原告らの生年月日、山陽化学解雇時における職種、役および勤続年数(原告森岡、同宮沢をのぞく。)が別表第一のとおりであること

は認めるが、原告らが現在別紙第一の如き勤務状態、別表第二の如き月収状況にあることは不知、その余の事実はすべて争う。

四  同第四項の事実中被告が原告ら主張日時山陽化学を吸収合併したことは認める。

五  別紙A協定の趣旨について

山陽化学は操業開始以来困難な経営状態にあつたが昭和二四年下半期は人員整理をする外ない状態におちいつたので、本社、工場各組合と協議の上同年八月末従業員の一部(全従業員四七六名中八八名)の整理を実施し、一方その窮状打開のため宇部曹達工業株式会社(以下、宇部曹達という。)との提携による塩化アンモニア(塩安)製造事業の重要性に着目し、右製造を目的とする新会社(仮称宇部合成工業株式会社、以下、宇部合成という。)の設立により山陽化学の活路を見出そうとし、その必要資金として見返り資金の貸付を受けるについて主管官庁である通産省の諒解を得る段階にまで進んだ。

ところが山陽化学の唯一の事業であつた宇部興産株式会社に対するガス供給は昭和二四年一二月二〇日契約期間満了のため同社から受入停止を受けたので、山陽化学の操業は中止となり、山陽化学は昭和二五年一月全従業員三八八名中一八四名の人員整理を実施したが、この時の解雇に関し前記のとおり別紙Bの協定が本社組合と山陽化学との間に締結されたのである。

ところが同年三月までに受け得ると予想していた見返り資金の貸付は同年八月頃まで延期され、新会社の発足もこれに従つて遅れることがほぼ明らかとなつたが、操業中止中の山陽化学としては賃金支払の財源が杜絶し、これ以上従業員を擁していくことは不可能となつたので全従業員を解雇することとし、昭和二五年三月から四月にかけてこれが実施されたが、原告らもこの時に解雇されたものであつて、この整理に関して前記のとおり山陽化学と本社組合との間に別紙Aの協定が締結されたものである。

(一)  右A協定にいう採用とは特定の新会社すなわち宇部合成が行う採用のみを予定したものである。

前記A協定締結の事情から見てA協定第五項にいう「会社は塩安計画の完成に全力を尽すことを確約する。」とあるのは、当時計画中の宇部合成による事業の促進を指したものであり、同第三項中「新会社設立後八月末までに本採用された者」、同第五項中「一〇月末までに新会社が成立せず云々」、「新会社成立するも就職しなかつた者」などの各文言があるのは、当時計画中の宇部合成の設立を当然予定して表現されたものであることは明白であり、単に抽象的な将来の会社を指したものではない。

従つてA協定第四項にいう「採用」の主体は宇部合成であり、山陽化学でないことは明白であつて、右条項は、原告ら主張のような「山陽化学が将来何らかの形で新発足する際には原告らを優先雇用する趣旨であつて、現会社のまま経営方針を立直し再開する際においては当然原告らを優先採用することをも含む」規定ではない。

このことは山陽化学が当時独力で再建し、操業を再開する見込が全くなかつたことから見ても明白であり、更にこのことは右協定にいたる労使の交渉過程において双方共に当然の前提としていたことである。

(二)  A協定第四項の趣旨は山陽化学の解雇者処遇の方針を示したにとどまり、これらの者の雇用を法律的義務として規定したものではない。

A協定第四項にいう採用(原告らのいうような再雇用ではない。)の主体として予定されていたものは将来設立さるべき宇部合成であるから、山陽化学が自ら原告らの雇用を法律的義務として負うべき筋合ではなく、同条項は単に山陽化学が宇部合成が設立された場合同社に解雇者の雇用を要望する方針を明らかにしたものにすぎない。

従つてA協定第四項末尾の「方針である。」の字句は、本採用にもかかるもので、同条項は結局別紙B協定第四項にいう「優先採用せしめるよう努力する。」ことを出でないのであつて、A協定第四項は単に山陽化学の方針を示した規定で原告らを再雇用する義務を設定したものではない。

(三)  別紙A協定当時宇部合成の設立の成否にはなお不安があり、また仮に発足するとしてもその発足が著しく遅延することが予想されたので、山陽化学と解雇者との関係を長く不安定のままにおくことを避け、両者間の法律関係の結了を明確にする趣旨で特に右協定に第五項を設け、「一〇月末までに新会社が成立せず又は新会社成立するも就職しなかつた者には一月協定(別紙B協定の意)の在職年数に応ずる支給率にて計算した金額の一割を支給し、その後会社の運営方針その他について今回の解雇者代表ならびに組合と協議する。」としたのである。

そして同年一〇月末にいたるも新会社の設立を見なかつたのであるが、当時山陽化学は自力再建の可能性なく実質上唯一の再建案であつた塩安計画が挫折すれば、当時の山陽化学としては全く再建の望がない状態におちいるわけであるから、仮にA協定が原告ら主張のとおり山陽化学が原告らを再雇用すべき約旨をも含んで締結されたとして、かかる約旨は同年一〇月末までに新会社が設立されなかつたときはA協定第五項所定の金員支給と共に消滅する約旨で合意されたものと解すべきものである。

そして山陽化学は昭和二五年一二月原告らを含む解雇者に対しA協定第五項所定の金員を支給し、原告らは異議なくこれを受領した。

右の事情により明白なように山陽化学と原告らとの権利関係は同年一二月における退職金の精算によつてすべて解消し、将来必要があれば組合又は解雇者代表と協議しようという程度のことが残るのみとなつたのである。

しかも本社、工場各組合も解雇者代表もすべて雲散霧消して被告と協議する主体はすべて消滅し、協議の機会はあり得なくなつたのである。

六  原告らの「協約上の権利の取得」、「第三者のためにする契約」に関する主張について

(一)  組合員である原告らは本件請求の根拠を第一次的には協約上の権利に求めているが、昭和二七年法律第二八八号による改正前の労働組合法第一五条第一項の「労働協約は、有効期間を定めた条項を含まなければならず、且つ、いかなる場合においても、三年を超えて有効に存続することができない。」という規定により、仮にA協定が原告らの雇用義務を内容としているものとしても、その部分は期間の定めのないものであるから無効であり、仮にある程度の効力を認めるものとしても、期間の定めのない協約は前記第一五条第一項の要件を欠くから、いわゆる規範的効力を有しないものというべきであつて、これに基いて原告らの権利を主張することができない。

仮に期間の定めのない労働協約が有効であるとしても、その有効期間は三年を超えることのできないことは明白であるし、仮にA協定に期間が定められているとすれば、新会社へ解雇者を採用せしめる期限である昭和二五年一〇月末日が右協約の期間と認むべきものであるから、何れにしても右各期間内に山陽化学は再発足しなかつたため、おそくとも右三年の期間の満了により協約は失効し、原告らがその主張の如き協約上の権利を取得したとしても、その権利もまた消滅したものというべきである。

(二)  原告らは第三者のためにする契約を根拠としても本件請求をしているが、かかる合意が労使間に存在したとしても、かかる雇用義務は前説明のとおり昭和二五年一〇月末までを期限として定められたと見るべきものであり、仮りにこれが認められないとしても最大限度労働協約の法定の有効期間である三年を限度として合意されたものとすることが契約当事者の意志であつたと認めらるべきである。蓋し山陽化学が三年以上も長期にわたり雇用義務を負うというが如きことは社会通念上合意の範囲外であつたと見るのが相当だからである。

(三)  山陽化学が原告らを解雇したのち四年半にわたる長期間放置されてから再開されるに至つたのは、経済状勢その他の諸事情が著しく変更したこと、山陽化学を傘下におさめた被告会社が原告らの解雇当時予想されていなかつた特別の努力をした結果によるもので、法人格が同一であるとはいえ、会社の実質は原告ら解雇当時と再開後とでは人的な構成の面においても、技術、施設の面においても全く事情を異にするに至つたものである。

他方原告らも山陽化学から離れてそれぞれ新天地を求めて現在ではすでに安定した勤務先を得ているのである。

この終戦後における幾多変動の激しかつた四年半の後においてしかも山陽化学自身も当時と全く事情を異にしたのちにおいて原告らのような主張をする如きは著しく労使の慣行に反し、条理に背くものであり、失効の原則からいつてもかかる主張は許されないものである。

七  以上のとおり、原告らの請求は理由がないから棄却せらるべきものである。

第四、被告の抗弁に対する原告らの認否、主張

A協定にいう新会社が昭和二五年一〇月までに設立しなかつたので、原告らが同年一二月山陽化学からA協定第五項所定の金員を受領したことは認める。

しかし、A協定第五項は被告主張のような趣旨の協定ではない。

当時組合側は同年一〇月末までに新会社が設立されるであろうという山陽化学の経営者側の見透しにより、その間退職金と失業保険金によつて生活を維持することを覚悟したが、新会社の設立が絶対確実なわけでもなく、仮に設立されたとしても、その設立が遅延したり、或いは原告ら雇用のための準備期間を要したり、また解雇者全部が一時に採用されるわけにも行かないことを考慮して同年一〇月から雇用までの間の生活の保証をいくらかでも山陽化学にさせるために組合がA協定第五項の如き協定締結を申し出て、漸く山陽化学を同意させて締結されたのが、右第五項なのである。

この規定は、同項中の「その後(新会社不成立等の後)の会社の運営方針その他について今回の解雇者代表並組合と更に協議する。」、「新会社成立するも一〇月末に至りなお採用されなかつた者(大部分又は一部採用された場合)の採用時期その他については今回の解雇者代表並に組合と協議する。」との文言から見ても、新会社が設立しなかつた場合、或いは設立後も採用されなかつた者について更に優先再雇用の法律的義務を履行するために速かに山陽化学の再建方策を検討しようとする規定であり、被告の主張する如き内容の条項でないことは明白である。

第五、立証〈省略〉

理由

第一、原告らの請求原因第一項の事実は当事者間に争がない。

第二、別紙A協定に伴う原告らと山陽化学との法律関係

一  山陽化学と原告内田、同森岡、同堀口、同片岡をのぞくその余の原告らが所属していた本社組合との間に右原告らを含めた従業員の解雇に関して昭和二五年四月二六日別紙A協定が締結されたことは当事者間に争がない。

二  原告らは、右協定は本社組合が組合員である原告らの利益のため、同原告らの個人的利益に直接関係する権利として規定されたものであるから、これによつて右原告らはその主張の如き権利を「協約上の権利」として取得したものと主張するが、原告らがかかる権利を「協約上の権利」として取得した点についてはこれを認めるに足りる証拠はない。

A協定が組合員の個人的利益のために協定されたこと、組合執行部が協約締結について組合員の意見を聞いたことなどの事情は一般の労働協約に通常の事例であつて、かかる事情はA協定の趣旨を原告ら主張の如き特殊なものと構成しなければならない事情とは考えられない。

右協定に特殊なものといえば、工場閉鎖、全従業員の解雇に関するものであること、企業内組合であつた本社、工場各組合の組織が工場閉鎖により崩壊に近づくことが予想されていたこと、解雇者代表が組合とならんで今後の労使間の交渉の主体となるものとされたことであろうが、かかる事情もA協定の趣旨が原告主張の如く組合員に協約上の権利を取得させるにあると解すべき事情とは認められないし、また原告らの如く解さなくともA協定が十分組合員である原告らの利益になることは後記のとおりである。

三  次に原告らは右協定と同時に山陽化学と本社組合との間に第三者である原告らに権利を取得させる趣旨の契約が締結されたものであると主張する。

(一)  しかし組合員である原告らについては労働協約をかような契約と考えることないしは協約と同時に第三者のためにする契約が締結されたと考える必要もないし、またかような考え方では、形式的には使用者と組合員とが個別的に協約に定めた基準以下の条件で契約することを妨げることができないわけであるから、労働協約が労働者の団結を通じて労働条件、労働者の待遇に関する規準を画一的に規律しようとする趣旨にもそわないものと考える。

組合員である原告らについていえば、A協定中原告ら主張の条項は、組合員に対し将来の雇用契約締結上特別の資格を附与しようとする(これがいかなる内容のものであるかは後記認定のとおりであるが)点において個々の労働者の待遇に関する規準であるばかりでなく、後記認定のように実質的には既存の雇用契約終了の一附款であり、退職金の補充としての意味を有している点においても、個々の労働者の待遇に関する基準なのであるから、A協定の内容は組合員と山陽化学との個々の労働契約(本件では予約関係等をも含めた広義に用いる。)の内容となつているものと認められ、組合員である原告らのA協定に伴う原被告間の権利関係の主張もこの同原告らと被告との労働契約上の権利を主張するものと解するのが相当である。

(二)  被告はA協定は期間の定めのない協約であるから、当時の労働組合法第一五条により規範的効力を有しないものであると主張する。

しかし労働協約なるものは国家法が規範的効力を附与して始めてかかる効力を有するものではなく、労働協約としての本質上かかる効力を有することは夙に承認されているところである。

もとより国家法が積極的にその効力を制限する趣旨で制定された場合は、その限度で効力を制限されることもあろうが、昭和二七年法律第二八八号による改正前の労働組合法第一五条は、その頃流行したいわゆる自動延長約款を矯正する措置に伴い、労使関係の安定のため労働協約の効力の発生とその失効の時期を明確にさせようとするいわば指導的立場に立つての立法であつて、特に積極的に期間の定めのない労働協約を有害としてその効力を排除しようとする立法とは考えられないから、かかる協約であつても、その本質とする規範的効力を有することを否定されないものと考える。

そしてかような協約の規範的効力によつて内容を規定された組合員である原告らと山陽化学との間の労働契約が契約当事者間の合意又は有効な解除権の行使なしにその効力が消失し又は制限されることはないものというべきである。

(三)  次に非組合員である原告らについて見ると、右原告らが本社組合に原告ら主張の如き申入をしたことを認めるに足りる証拠はなく、本社組合が組合費も払わず経営者的立場にあつた原告内田、同森岡、同片岡の営業、人事、技術の各課長や堀口人事課員(右原告らが山陽化学解雇当時上記の職務にあつたことは当事間争ない。)に権利を取得させる意思でA協定ないしこれと同一内容の契約を締結したと認めることについては疑問があり、証人石倉武の証言により認められるように右原告らは「重役の股肱の人」ともいうべき地位にあつたのであるから、むしろ山陽化学はかかる非組合員を一般組合員以下に待遇する意思はなく、当然組合員と同等に待遇しようとする意思であつたと推認するのが相当であり、また証人富岡輝男の証言によれば、非組合員である富岡は原告らと同時に山陽化学を解雇された後、残務整理のため更に雇用されたが、山陽化学を再度退職する際山陽化学の村野総務部長、深山常務取締役から「君なんかは山陽化学が再建したときは是非来て貰うのだが」といわれたことが認められるので、これらの事情から見れば、非組合員である原告らと山陽化学との間にA協定と同趣旨の契約が締結されたと認めるのが相当であつて、非組合員である原告らのA協定に伴う被告との権利関係の主張は結局この趣旨の主張と認められる。

第三、A協定の内容

そこでA協定に伴う原被告間の権利関係の内容は、A協定がいかなる内容であつたかによつて定まるのであるから、その協定の内容を考えるのであるが、その内容を確定するため、まずA協定が締結された経緯を見る。

一  山陽化学が昭和二二年四月以降専ら宇部興産株式会社に対するガス供給の事業をして来たが、昭和二四年一二月その操業を中止したことは当事者間に争がない。

二  証人邑岡卓司の証言により真正に成立したものと認める乙第八号証、証人小田島親康の証言により真正に成立したと認める乙第九号証の一、四、成立に争ない第九号証の二、証人勝部兵助(昭和三二年六月一八日尋問分)の証言により山陽化学作成の山陽化学、宇部曹達、帝燃の三社間の協定の草案と認められる乙第一八号証、該証言により宇部曹達の当時の社長国吉五六が同社の本社あて打電した電報の案文の写と認められる乙第一九号証と右証言および証人村野武明同石倉武の各証言によれば、

(一)  山陽化学は昭和二四年後半に至つて経理状態が悪化し、損失金六三〇〇万円、諸未払額も多額に上つたので、同年八月一部従業員の整理(第一次解雇という。主として病弱者、休職者などを対象とし、原則として希望退職の形をとる。)を行つたこと。

(二)  山陽化学はその頃地元の宇部曹達との提携による塩安製造事業を計画し、この計画は曹達工業の経営の合理化の面で通産省から関心を持たれたので、宇部曹達が主体となつてこの事業に対日援助見返り資金の貸付を得るよう運動したこと。

(三)  ところが前記のとおり山陽化学は同年末に至り宇部興産株式会社からガスの受入を停止され、主たる収入の途を失つたので、昭和二五年一月中旬頃宇部曹達、山陽化学、帝燃の三社は(イ)塩安事業に前記見返り資金の貸付を受けられる見透しのつき次第(当時は同年二、三月と予想)資本金一億円程度の株式会社を設立すること、(ロ)山陽化学の現従業員中宇部工場に在勤する者一七五名東京本社に在勤する者一五名は右新会社の設立と共にその従業員となるものとし、その設立前は建設資金の獲得等の建設業務に従事させ、その給料は同年二月一日から右新会社の負担に属せしめることなどの協定を結び、山陽化学は同年一月二五日本社、工場を通じ従業員約一九〇名を残してその余を解雇し(第二次解雇という。この解雇に関して山陽化学と本社組合との間に別紙B協定が締結されたことは当事者間争なく、成立に争ない乙第六号証の二によれば、同月二四日山陽化学と工場組合との間にB協定と同旨の協定が締結されたことが認められる。)、新会社(仮称宇部合成)の設立をまつたが、同年二月末頃見返り資金の貸付が同年八、九月頃に延期されることが判明し、新会社の業務開始もまた延期するの止むなきに至つたが、山陽化学はすでに主たる収入の途を失つているので従業員の給料支払の財源がなく金融機関よりする融資も不可能であつたので、山陽化学の当時の社長勝部兵助は宇部曹達の当時の社長国吉五六と協議し、同年三月一九日頃山陽化学は、その所有の鋼材、潤滑油、ベルトなどの資材を宇部曹達に提供し、宇部曹達から約六九〇万円の資金(内二〇〇万円は宇部合成が設立されたとき同社の負担とし精算する約)を得て早急に人員整理を行うことをきめ、勝部社長は同月二三日宇部工場において労働組合の役員に対し、工場閉鎖と極く少数の保守要員をのぞいて全従業員を全員解雇する方針を発表し(以下第三次解雇という。原告らがこのときの解雇者であることは当事者間に争がない。)、同月二四日本社関係の人員整理の要綱として(イ)解雇者に対する退職金は第二次解雇者に対して支給した退職金の計算方式により算出した金額を支給する、(ロ)ただし同年八月までに新会社又は山陽化学に採用された者には内三割は支払わない、(ハ)今回解雇者の全員については新会社設立後その必要に応じて前回解雇者に優先して採用せしめ、その場合勤続年数は山陽化学におけるものを通算せしめる方針であるとの書面を、同月二五日宇部工場関係の人員整理の要綱として(イ)前同旨、(ロ)「又は山陽化学に」を除く外前同旨、(ハ)今回の解雇者は全員新会社設立後必要に応じて第一次優先採用し採用者の勤務年数は山陽化学における勤続年数を通算する方針であるとの書面を発表したこと

が認められ、証人角出正則の証言中宇部工場関係の第三次解雇の要綱原案中(ハ)について「優先的に本採用にすることに努力する」とあつたのを組合の要求により「優先的に本採用し」と訂正させられたとする点は記憶違いと認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  前掲乙第八号証、乙第九号証の一、証人邑岡卓司の証言により真正に成立したものと認める乙第一〇号証、乙第二〇号証、によれば

(一)  勝部社長は昭和二五年三月二三日宇部工場において組合役員に工場閉鎖の方針を伝えた際、「同年二月中と予定していた見返り資金の貸付が同年八、九月頃に延期されることが判明したが、山陽化学はそれまでの間新会社要員として予定した現在の従業員の給料を支払えないので、工場を閉鎖し、全従業員を解雇する外ないことになつた。現在の従業員は全部残つて貰いたい人ばかりであるから、新会社設立まで待機して貰い、塩安事業が開始されればいち早く駈け参じて貰いたい」という趣旨の説明をしたこと。

(二)  組合側は前記会社案に対し、山陽化学の経営者側が見返り資金の貸付について楽観的立場に立つていたのに反して、むしろ悲観的立場に立ち、従業員としての地位の保全を会社側に認めさせるため、(イ)退職金は実質的には休業補償金ないし待機手当の性格を持たせ、これと失業保険金とで従前の月収を維持し、(ロ)新会社設立不可能の場合、また仮にこれが設立を見ても同年九月末日までに採用できなかつた者は山陽化学で再雇用し、その後の待遇会社運営方針等を協議し、会社案の退職金は一部支給とし、その残額を更に協議して支給する趣旨を骨子とする対案を出し、会社側のこれを不可能とする回答(ただし見返り資金の融資不可能の場合、同年九月末まで採用できない場合退職金の追加支給の能否について話合に応ずることは認めた。)に不満を持ち同年三月三一日まで交渉は妥結するに至らなかつたこと。

(三)  山陽化学は同日組合との交渉妥結をまたず、宇部工場全従業員一八六名中一五四名の解雇を通告し、本社においても解雇の通告をしたこと(本社従業員である原告らのうち一二名が同日解雇されたことは当事者間争なく、原告本人山中一良の尋問の結果によれば、同年四月には結局本社従業員は全員解雇となつたが、内六名は保守要員として再雇用された。)

(四)  工場組合は右解雇は労働協約違反と主張し、解雇の撤回を求め、交渉の結果山陽化学は翌四月三日頃解雇の撤回をしたこと。

(五)  同月一一日閣議において約四〇〇億円の見返資金貸付の枠が決定され、勝部社長が通産省等で調査したところ、その内塩安事業に二億円の割当があることが判明したこと(ちなみに、証人勝部兵助の証言(昭和三二年六月一八日尋問分)によれば、当時塩安事業に要する資金は約六億円その外に宇部曹達として約一億円の資金を必要とすると予想し、右見返り資金で賄う以外の四、五億円は宇部曹達が銀行より融資を受ける予定であつたことが認められる。)

(六)  山陽化学は同月一五日再度見返り資金の貸付の延期に伴い「塩安製造計画の建設要員として新会社引当に残してある現在人員は今後維持することができなくなつたので工場を閉鎖し全員解雇して見返り資金を長期に待機するの止むなきに至つた」ことを理由とし大体三月二三日の人員整理要綱と同様の構想(ただし今回は全員解雇で内若干名を保守要員として再雇用すること、(イ)の退職金より四月分基準内賃金に相当する金額をさし引く点において異る。)による人員整理要綱を発表し、同月一八日以降は本社、工場両労働組合と合同の団体交渉に入つたが、組合側は(イ)雇用関係を継続したまま失業保険金のとれる帰休制度を考えること(ロ)九月末になつても新会社の設立が不確実なときは第二次解雇の際の退職金の二倍の退職金を出すことなどの対案を提出したが、結局(イ)は法律的に不可能であり、(ロ)の退職金の増額は会社側に資金のないことが判明したので組合側も大譲歩し組合案の(イ)を撤回し、(ロ)の二倍をA協定のとおりとするが、その譲歩の代償として別紙A協定第五項の基礎となつた「一〇月末に至つても新会社成立せず、又はその成立が未定の場合は一月協定の在職年数に応ずる支給率にて計算した額の一割は支給し、その後の会社運営方針その他について更に協議する。一〇月末までに採用されなかつた者についてはその後の待遇を協議する。」との協定案を提案し、会社側も譲歩して別紙A協定が締結されたこと。

その際会社案の(ハ)「必要に応じて」を削除したのは労使双方共新会社ができたからといつて全員を一時に採用することはあり得ないことを了解したので削除したこと

が認められ、なお、成立に争ない乙第一五号証の二によれば、昭和二五年四月二六日山陽化学と工場組合との間にA協定と同文の協定が宇部工場従業員の解雇に関し締結されたことが認められる。

四  次にA協定締結後の状況を見ると

証人富岡輝男の証言と原告山中一良本人尋問の結果によれば、(イ)A協定締結の後山陽化学と本社組合との間に解雇者の山陽化学の厚生施設の利用については原則として従業員と同一に取り扱うこと、山陽化学の本社に解雇者が来社する場合の控室をつくることなどの話合いが成立したこと、(ロ)昭和二五年秋頃まで山陽化学本社において本社関係の解雇者が退職金の受領の都合もあつて、月に一度程集つて山陽化学の深山常務などから山陽化学の再建計画の進捗状況を聴取し、その後昭和二六年頃には山陽化学の施設を利用して宇部興産株式会社が硫安原料用ガスの製造をする計画もあり、昭和二七年になつて広広通産局主唱で火力発電所とする計画などもあつたが、その頃おりおり訪れて来る解雇者に山陽化学の重役よりそれらの計画のあることの説明をしたことが認められる。

そして証人の勝部兵助の証言(昭和三二年六月一八日尋問分)によれば、昭和二五年九月終り頃宇部合成の設立計画は宇部曹達が金融機関よりする融資の見込がないため取止めとなつたことが認められ、原告らが同年一二月A協定第五項所定の金員の支払を受けたことは当事者間に争がない。

五  以上の経緯に照らして、A協定の内容を考えると

(一)  A協定第四項にいう「優先的に本採用し」の主体は当時労使双方がその設立に望みをかけた宇部合成であることは明白であり、従つて形式的には山陽化学が確定的に採用を宣言し得べきものでないことは当然である。

しかしかようなことを知悉している筈の山陽化学の経営者が自らかような原案を発表したのは、昭和二五年一月中旬宇部曹達、帝燃との三社協定において山陽化学の従業員一九〇名は新会社の建設業務に従事させ、翌二月一日からその給料を新会社に負担させる約束を得た上、その後も宇部曹達の了解と援助を得て第三次解雇を実施しているところから、新会社が設立されれば解雇者全員が採用されることについては相当の自信を持つていた結果であり、また証人角出正則、同石倉武の各証言と前掲乙第二〇号証によつて認められるように、勝部社長が団体交渉の席上第三次解雇は新会社に全員採用することが建前であつて、B協定が若干採用しない建前で協定されたものとは異ると確言しなければ団体交渉がまとまらない状況にあつたことによるものと認められる。

(二)  それでは新会社ができない場合における被解雇者の処理はどう定められたかというと、被告が第一次的に主張するように山陽化学は宇部合成が設立された場合にかぎつて解雇者が新会社に採用されるよう努力すれば足り、それ以外に採用に関しては何らの義務も残らないというのも、前記認定の協定締結の経緯、その後の状況にも合わないし、証人角出正則、証人石倉武の証言によつて認められるように、山陽化学の経営者としては、容観的に誰が見ても不可能な場合を除いて解雇者が宇部合成に採用されるように努力することの決意を表明しなければ第三次解雇は組合から了承されなかつたし、原告本人飯尾常雄本人尋問の結果により認められるように本社、工場各組合は前記認定のとおりに昭和二五年一〇月末までに新会社への採用がはつきりしないときは、山陽化学とは終局的に関係が切れることを前提として退職金として第二次解雇の際の退職金の二倍を要求したが、結局山陽化学の拒否によつて譲歩し、その譲歩の代償としてA協定第五項の「その後(新会社の不成立等)の会社の運営方針その他について――更に協議する。」等の条件を附して、退職金の少額なことを将来における採用への期待をもつて補わんとしたことが認められ(右認定に反する証人勝部兵助の証言部分(前記両日尋問分)は採用しがたい。)、これらの事情からみれば、A協定は、宇部合成が設立された場合にかぎつて、山陽化学が解雇者が採用されるよう努力する義務を負担する趣旨ではなく、宇部合成以外の山陽化学の再建計画の実施に当つても解雇者が採用されるよう努力する義務ないし採用するようにする義務(以下採用に関する義務という。)を負担する趣旨で約定されたものと認めるのが相当である。

被告は、右協定は、単に採用に関する方針を定めたものに過ぎないから、山陽化学の法律上の義務を負担するものではないという。

しかし労働協約に前記のような表現で採用に関する「方針」を明らかにした以上、その方針実現のために何らかの措置をとるべきことを約したと見るのが当然であつて、かかる措置をとることは全然義務としない趣旨であつたことはたやすく考えられないところである。

もつとも協約上山陽化学の「採用に関する義務」が具体的になつているのは宇部合成設立の場合だけであることはそのとおりであると思われるが、その余の場合についても抽象的な漠然たるものではあるが、「採用に関する義務」はあるものと思われ、それあるがために、山陽化学再建のため毎月一回以上解雇者代表と協議したり又は新会社不成立決定後も山陽化学の運営方針に関し、解雇者代表、組合が山陽化学と協議する条項が設定されたものと認められる。蓋し新会社不成立後は「採用に関する義務」はなく、単に退職金の増額だけが問題となるのであれば、全く金さえとればよいという立場になつた解雇者が山陽化学再建のため、毎月協議したり、山陽化学の将来の運営まで配慮する必要はないからである。

(三)  原告らはA協定は山陽化学が第三者である宇部合成が採用する場合であつても、「優先的に本採用する。」と約束したのであるから、まして山陽化学が現会社のまま再建されるときは勿論原告らを再雇用する趣旨で定められたと主張するが、山陽化学が新会社に採用することを約したのは宇部曹達、帝燃との協定等かかる約束をするだけの根拠があつてのことであつて、かかる下準備を前提とせず宇部合成以外の再建方策の場合でも宇部合成の場合と同一の強度で雇用することを約したと解することは困難である。

このことはA協定妥結に至る団体交渉の経過において、前記認定のとおり「新会社が設立不可能な場合山陽化学で再雇用する。」との組合案を山陽化学側が拒否したのにかかわらず、組合側が強硬にこの提案を維持せず、漠然と新会社が成立しなかつたのちの「会社の運営方針その他について今回の解雇者代表並に組合と協議する。」という表現で妥結した点からも窺われるところである。

すなわち、山陽化学が将来どんな技術者を必要とするかも問わず、またどんな経営者側のスタッフを必要とするかも問わず、再建されるどんな場合にも必ず雇用することを約したと見るのは常識に反するし、またA協定第五項の存することによつても、新会社不成立の場合の山陽化学の「採用に関する義務」は宇部合成の場合と同一の強度をもつて設定されたものでないことも窺われるところであつて、宇部合成の場合は設立即採用に近い形(それでさえ一時に全員採用されるとは限らず、また採用され得ない者もあることは前記三の(六)認定の事実と証人富岡輝男の証言によつて認められる。)で約束されているのに反し、その余の場合では、いわば採用に努力するという基礎だけが定められてその余は確定されないままになつており、今後労使間の協議により確定されるべきものとして定められているといわざるを得ないところである。

従つてA協定に定められた内容が原被告間の労働契約の内容になつているとしても、それだけではどんな場合に原告らの採用申込に山陽化学が承諾すべきものと定められているか判明しないという外はない。

強いていえば、山陽化学が再建されて従業員を必要とする場合、その必要とする従業員の年令、技術、能力、経歴等において解雇者の中にそれに適応する者があり、他の者と同等であればかかる解雇者が優先的に採用されるように考慮する程度の義務はあるかも知れないが、かかる漠然たる義務があるからといつて、直ちに原告らの再雇用の申出が効力を生じた当時被告がこれに承諾すべき義務があつたとはいえないし、かかる具体的義務があつたかどうかは更に種々の条件を検討して見なければ不明という外はない。そしてかかる条件があると認めるに足りる事情については、原告らの主張も不十分であるし、本件に現われた全立証によつてもこれを肯認することができないところである。

従つて、原告らが主張する被告が原告らの雇用申入について承諾すべき義務が発生したとの点については、結局これを肯認することができないから、原告らの本訴請求はその余の点について判断するまでもなくすべて失当というべきである。

第四、結論

以上のとおり原告らの本訴請求はすべて理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 桑原正憲 大塚正夫 伊藤和男)

(別表第一、第二省略)

(別紙)

協定書(A)

会社及組合は会社が三月三十一日付を以て従業員十二名(以下解雇者Aと称す)を四月二十九日付を以て同じく八名(以下解雇者Bと称す)を左の要領に基づいて解雇することを協定する。

一、会社は山陽化学再建のために毎月一回以上解雇者代表並組合と協議する。

二、解雇者Bに対しては本年一月解雇した者に対して支給した退職金の計算方式により算出した金額を解雇者Aに対しては右の金額に賃金一ケ月に相当する額を加算したる金額を退職金として支給する。

前項の退職金中には基準法に定むる解雇予告手当を含むものとする。

三、退職金は現金又は物品を以て可及的速かに支払う

新会社設立後八月末迄に本採用されたものは、本年一月解雇した者に対して支給した退職金の計算方式により算出した金額の三割を返還する。

四、今回の解雇者の全員については新会社設立後前回解雇者よりも優先的に本採用し、採用者の勤続年数は山陽に於ける勤続年数及び離職期間を通算する方針である。

五、会社は塩安計画の完成には全力を尽すことを確約する。

十月末までに新会社が成立せず又は新会社成立するも就職しなかつたものには一月協定の在職年数に応ずる支給率にて計算した金額の一割を支給しその後の会社の運営方針その他について今回の解雇者代表並組合と更に協議する。

新会社成立するも十月末に至り尚採用されなかつた者(大部分又は一部採用された場合)の採用時期その他については今回の解雇者代表並に組合と協議する。

昭和二十五年四月二十六日

山陽化学工業株式会社

取締役社長 勝部兵助

山陽化学本社従業員組合

組合長 川瀬豪男

協定書(B)

一、本店現在人員二三名(含大阪)の内残務整理並新規事業に差当り、必要な仕事に従事するもの二〇名を除き残り三名を解雇する。

二、解雇者に対する退職金は昨年八月整理要項第三項の退職金の計算方式によつて算出した金額を支給する。

但し前項の第七号及び第九号の一割加算については今回これを行わない。

尚今後新会社設立する以前に於て止むを得ず会社の都合で人員整理する場合はこの計算方式で算出した額を下らない退職金を支給する。

三、前項の退職金は三月上旬迄に七割を、残り三割は八月中に支払う但し八月末迄に新会社に採用された者には残り三割を支払わない。

但し七割の金額中には、基準法に定める一ケ月分の解雇予告手当を含むものであつて、この予告手当は一月末これを支払う。

四、解雇者の大多数については新会社設立後その必要に応じて優先的採用せしめる様努力する。その場合勤続年数は山陽に於けるものを通算せしめる方針である。

五、退職金の残り三割を支払う際新会社と協議の上今後採用される見込がないと認めたものにはこの旨通知する。

新会社に最終的に採用されない者には在職年数に応ずる支給率で計算した額の一割を支給する。

六、この整理による退職金は一月二十五日までに妥結することを条件とする。右協定する。

昭和二十五年一月二十五日

山陽化学工業株式会社

取締役社長 勝部兵助

山陽化学本社従業員組合

組合長 川瀬豪男

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